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住吉

神宮寺は津守神主家の一族が、寺院を管理する別当を代々勤めていました。津守氏の中でも神主を世襲する津守一族(神主家)と、寺院を経営・管理する一族(別当家)とに別れていたのです。鎌倉時代のモンゴル襲来の頃、津守神主家と別当家との間で対立があり、その後、神主家の子弟が別当に就任し、平安時代以来代々別当家に相伝されていた別当職は神主家に取り上げられるかたちになります。江戸時代を通じて残っていった神宮寺は明治維新後の神仏分離によって廃絶されてしまいます。全て廃絶されて壊されたかというとそうではありません。現在徳島県阿波市の切幡寺に神宮寺の西塔が残っています。これは、先程豊臣秀頼が再建したと言いました神宮寺が神仏分離令によって廃寺となったので、2 基の塔のうち西塔を切幡寺の住職が買い受け、同寺に移築したものです。